責任という言葉は人によって解釈がかなり異なり、「何となく」な感じで認識している人が多いのではないかと思います。
私は数年前に「責任」という言葉の意味について大いに悩み、いろんな人に意味を聞き、自分にとって責任という言葉がどうプラスに働くかを考えました。
今回責任という言葉について前から書こうと思っていたので私が思っていることを書きたいと思います。
まず最初に一般的な意味なのですが、これがネットで検索してみてもいろんな解釈があり、辞書によっても非常に分かりづらい表現がなされているものがあったので、その中でも理解しやすいものを貼ってみます。
せき‐にん【責任】(goo辞書より)
1 立場上当然負わなければならない任務や義務。「引率者としての―がある」「―を果たす」
2 自分のした事の結果について責めを負うこと。特に、失敗や損失による責めを負うこと。「事故の―をとる」「―転嫁」
3 法律上の不利益または制裁を負わされること。特に、違法な行為をした者が法律上の制裁を受ける負担。主要なものに民事責任と刑事責任とがある。
私が考えている責任の意味とは以下の2つのこととして捉えています。
1 求められている状態にする
2 本来あるべき状態にする、戻す
1 求められている状態にする
人にはいろいろな役割が与えられています。
仕事の中での役割もそうですが、家族の中での役割、兄弟の中での役割、いろいろあると思います。
例えば仕事では会社から求められている数字であったり、目標であったり、テーマなどがあると思います。それを求めらている水準まで持って行くこと、これが「求められている状態にする」ということです。
家族の中で父親としての役割、母親としての役割があると思います。
そこでは子供を養うという求められている状態があるとすると養っていくために必要な物を揃えたり、子供が独り立ちできるように教育をしていったり、問題が起きれば元通りにしていくという行動が親としての責任にあたると思います。
もちろん仕事をして生活費を稼ぎ、それを元に子供を育て、教育していくというのは親としての責任を果たしているとみていいでしょう。
さらにどのようなことを家族の中で求められているのか?
これを考えることもまた重要です。
その結果、「この人は責任感がある」ということになるのです。そしてその責任を継続的に果たしていくことにより「この人に任せておけば自分が求めている状態になる」→「信頼」という言葉に発展していくのです。
お父さんはいつも家事をしない、となれば奥さんから見れば家事に関しては無責任な夫だと見られるわけです(これは僕のことですが!)
銀行のローンもそうですが、銀行はお金を貸したら決めた金額を定期的に払ってもらうように求めています。
それをしっかり継続的に成し遂げていくことにより銀行との信頼関係を醸成していくことができるようになるわけです。
求められていることを果たしていくことにより信頼関係をより高めていくこの関係性、これは責任を考える上で非常に重要なポイントになります。
2 本来あるべき状態にする、戻す
1のところで求められることを果たすと書きました。
しかし、いつも上手くいくわけではありません。
時には失敗したり、時には自分ではどうしようもすることができない不可抗力が起こったり、人生とは様々な予測不能に近いことが起こります。
しかしこの時に責任とは「本来あるべき状態に戻す」が効いてきます。
求められることを達成できない時、責任を取って辞めるという話はよく聞きますが、辞めるだけで本来あるべき状態に戻ったり、求められている状態になるのならそれは責任を果たすということになります。
対して、辞めても何ら改善することがないとなれば責任をとって辞めるということは無責任なこととなります。
状況によっては辞めるのが相応しくない時もあることでしょう。
その時は本来あるべき状態にする、戻すための施策を行っていくことになります。
他の例としては、
何か壊してしまったら、それを元に戻す。本来の機能がある状態に戻す。これが責任につながっていきます。
私の責任
会社内
創業者と後継者では同じ経営者でも力を注ぐ点が異なってきますが、経営に参画しているという点で共通してくるのは
1.会社として人々の役に立つ商品、サービスを提供すること
2.会社に仕事をもたらすこと
3.地域に仕事を提供する対価として会社として金銭をいただくこと
4.中長期的なビジョンを示すこと
5.社員を養うこと
家族ー父親としてー
1.金銭的に家族が困ることがないようにすること
2.いつも笑顔、健康でいること
3.問題が起きれば解決すること
4.結婚時の約束を果たすこと。妻を良きパートナーとし、愛し続けること
そして出てくる「自己責任」という言葉
先日、人質に囚われている日本人が殺害予告を受けるという痛ましい事件が起こりました。
この話を引用するのは非常にデリケートで自分の意見を述べるのは大変躊躇するところですが、ここではあくまで淡々と書いていこうと思います。
本人は自己責任で行くということですが、もし自分がこの事件の当事者であれば「身代金は払うな」、という意味で言うと思います(軽々しくこのように書くことはできませんが)。
その場合はもちろん死を覚悟して行くわけですから相続や自分の葬式の準備もして行くことが前提になることでしょう。
しかし、それが自分だけの範囲で収まればいいのですが、いったん捕まり身代金などを要求されれば日本という国としての責任も発生してきます。日本は憲法によって人質に対してどのようなことをしていく責任があるのかは分かりかねるところがありますが、このようにして自分の範疇以外のところにも影響を与えていくことになります。

自分のところにまだ出産したばかりの奥さんを置いて、そして生まれたばかりの乳飲み子を置いて、出かけていったのだと思います。 昨日、その奥さんと名乗る方と初めて電話で交信致しました。
そして私が驚いたのは、赤ちゃんを産んで、まだ2週間も経っていないということなんです。
私は健二に憤りを感じました。何故、そんな乳飲み子を残しながら行くのかということ。
友達が、友人がと言っても、その2週間した経っていない子どもを守ってあげるのは、親しかいないじゃないですか。心優しい子、正義感に燃えている子と申しましても、なんかそこのところがちょっと、解せませんでした。
言葉を抜粋して引用しましたが、ここでこのお母さんは父親としての責任を問いておられます。
つまりこのケースでは「自己責任」とは友人を救いに行くよりも家族を優先することが父親としてなすべきことであると言っています。
この部分に関してまさしくその通りであると思います。
最後に
普通に生きていれば人は責任を与えられていきます。
それは自分が受け入れなくても勝手に周囲からそういう期待を持たされます。
ある意味生きている限り責任からは逃れることはできないでしょう。
しかし、これは成長の機会でもあります。
求められている状態にする、本来あるべき状態にする、戻す。
それを前向きにイメージし、達成しようと突き進む時に自分では想像もしないような奇跡的なできごとが皆を助けてくれることでしょう。
私は責任という言葉に上で書いたような意味で捉えるように気付いてから物事を見る目が変わってきました。
ぜひ、責任に押し潰されることなく立ち向かっていっていただきたいと思います。